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大阪高等裁判所 昭和57年(う)1588号 判決

本籍

佐賀県武雄市朝日町大字中野八、三五七番地

住居

大阪府吹田市藤白台二丁目七番八号

会社役員

辻一義

昭和四年一一月二一日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和五七年八月五日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 大谷晴次 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人笠松義資及び同大槻龍馬共同作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、被告人を懲役刑に処した原判決の量刑不当を主張し、被告人に対しては罰金刑で処断するのが相当であるというのである。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察するに、本件は、建設会社の代表取締役である被告人が、その会社の業務に関し、昭和五二年度から昭和五四年度までの三事業年度にわたり、架空外注費を計上するなどの不正の行為により法人税合計六、二九九万五、五〇〇円を逋脱したという事案であり、正規の法人税額に対する免れた法人税額の比率(逋脱率)は、昭和五二年度が一〇〇パーセント、昭和五三年度が八四・三パーセント、昭和五四年度が八九・九パーセント、通算で八八・三パーセントという高率に達するものであるところ、その動機として格別酌むべき事情は認められず、犯行の手段及び態様をみても、被告人は、架空外注費を計上するため、自ら、あるいは従業員菅脩と相い謀つて、下請業者に依頼して水増しした請求書や領収証を書いてもらうほか、友人や飲み屋の女性に外注先を装った架空名義の請求書及び領収証を書いてもらったり、すでに取引が絶えている業者のゴム印や認印が手許にあったのを利用して、ほしいままにその業者名による請求書や領収証を偽造したりし(なお、所論は、被告人自身は領収証を偽造したことはなく、前記菅脩がそうしていたことを国税当局の査察を受けた際はじめて知ったものである旨主張するが、被告人の収税官吏に対する質問てん末書一〇通をはじめ原判決挙示の関係証拠を総合すると、被告人自ら偽造した分も相当数あるほか、菅脩が偽造したものについても、そうすることにつき被告人も了承していたことが明らかであり、被告人の原審及び当審公判廷における各供述のうち、右認定に反する部分は措信できないから、所論は採用できない。)また、このようにして取得した裏金を仮名預金にして隠匿するについても、部下事務員にも秘して被告人自らこれを行なっているのであって、本件は、被告人が主導して計画的に敢行した悪質な事犯といわなければならない。しかも、原判示第二及び第三の各犯行は、被告人が原判示の確定裁判(1)による刑執行猶予中に行なわれたものであり、更に、原判示第三の犯行は、昭和五四年五月に所轄税務署の税務調査を受けたのちの犯行でもあって、被告人の納税義務についての自覚の乏しさだけにとどまらない規範意識の希薄さは、強い非難を免れず、その刑事責任は軽視し難しいものである。してみると、原判示第三の事実に関し、税務処理上違法とされた三、四〇〇万円近いコンクリートパネルの棚卸除外については悪質といえない事情も存すること、被告人が、すでに本件各年度の正規の国税、地方税を完納しているほか、贖罪の心境から、原判決後日本赤十字社大阪支部に五〇〇万円を寄付するなど、反省の態度が明らかであること、被告人は事業 営上欠くべからざる立場にあるが、原判示確定裁判にかかる各前科があるため、懲役刑については執行猶予の余地がないこと、その他所論の諸点を含め被告人に有利な情状を十分斟酌しても、被告人を原判示第一の罪につき懲役二月に、原判示第二及び第三の罪につき懲役六月に処した原判決の刑が不当に重いものとは考えられず、所論のように罰金刑でもって処断するのを相当とすべき特段の情状を具える事案とは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 環直彌 裁判官 高橋通廷 裁判官 青野平)

昭和五七年(う)第一五八八号

○ 控訴趣意書

法人税法違反

被告人 辻一義

右の者に対する頭書被告事件につき、昭和五七年八月五日、大阪地方裁判所が言い渡した判決に対し控訴を申し立てた理由は左記のとおりである。

昭和五七年一二月二五日

弁護人弁護士 笠松義資

同 大槻龍馬

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

原判決の量刑は不当に重い。

一、原判決の判断

原判決は罪となるべき事実として

被告人辻和建設株式会社(以下「被告会社」という。)は、大阪府豊中市若竹町一丁目二、六一四番地の二に本店を置き、建築総合請負等を目的とする資本金三〇〇万円の株式会社であり、被告人辻一義は、被告会社の代表取締役として同会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人辻は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、架空外注費を計上し、よって得た資金を仮名の定期預金として留保するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一、昭和五二年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一、三一〇万九、五六九円(別紙(一)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、同五三年二月二八日、大阪府池田市城南二丁目一番八号所在の所轄豊能税務署において、同税務署長に対し、所得金額が欠損三七一万二、三七八円で納付すべき法人税はない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同社の右事業年度における正規の法人税額四二〇万八、六〇〇円を免れ、

第二、昭和五三年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が七三三三万八五七円(別紙(二)修正貸借対照参照)あったのにかかわらず、同五四年二月二八日、前記税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が一、三六六万九、六九九円でこれに対する法人税額が四四三万一、〇〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額二、八二九万五、四〇〇円と右申告税額との差額二、三八六万四、四〇〇円を免れ、

第三、昭和五四年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が九、九九〇万九、九一二円(別紙(三)修正貸借対照表参照)あったのにかかわらず、同五五年二月二六日、前記税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が一、二五六万六、六〇二円でこれに対する法人税額が三九一万五、〇〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額三、八八三万七、五〇〇円と右申告税額との差額三、四九二万二、五〇〇円を免れ、

たものである。

との事実を認定し、被告人辻一義に対し判示第一の罪につき懲役二月、判示第二の罪につき懲役六月の各実刑を科し右量刑の事情として

本件は、被告人辻一義が代表取締役をしている、元請棄者の型枠工事部門の下請を主たる業とする被告会社の業務に関し、六、三〇〇万円近くの法人税を免れたという事実である。

本件の動機としては、不況時に備えることと、被告会社の倉庫を購入するための資金作りと認められるが、これらの事情は、いずれも特段に斟酌すべきものとは考えられない。又、犯行の態様も主として架空外注費の計上であるが、これを隠弊するに必要な伝票類は、被告人辻一義自らあるいは情を知らない第三者を介して偽造するなどしており、その手口は極めて悪質である。更に、これらの方法によって取得した裏金は、被告会社の事務員に気付かれぬよう、同被告人自ら金融機関に赴き、仮名の定期預金等を設定しており、被告会社内部からの発覚を防止する努力のあとも窮われる。

次に、確定申告に際しては、被告会社の経理担当者である菅脩の報告に基き、被告人辻一義において申告所得額を決定したうえで申告手続に及んでいる。しかも被告会社設立後間もない昭和四七年頃より既に脱税をししており同五四年五月には豊能税務署の税務調査を受けたにもかかわらず、判示第三の事実記載のように、従前と同様脱税を敢行しているものである。

このように犯行は、計画的且つ巧妙であり、犯行の動機手段、方法、態様等をあわせ考慮すれば、その犯行は悪質といわざるをえない。

そのうえ、ほ脱率は平均で約八八パーセントにも及ぶ高率で、被告人辻一義の納税義務に対する態度を如実に表わしている。しかも判示第二、第三の罪は、前記(1)の確定のあった刑の執行猶予中の犯行であり、被告人辻一義の一般的な法規範遵守の意欲の乏しさを示すものである。他方、本件発覚後、各年度の納付すべき国税、地方税はいずれも全納されていること、被告人辻一義も公判の最終段階にいたっては自己の罪を全て認め、反省の意を表わしていることなど本件に顕われた被告人辻一義に有利な事情を全て考慮しても、その犯情は重く、到庭被告人辻一義につき罰金刑を選択すべき事案とは考えられない。

と判断を示した。

しかしながら原判決の量刑は以下述べる理由により著しく重く苛酷である。

二、理由

1. 本件犯行の態様について

(一) 本件犯行の態様が主として架空外注費の計上であることは原判示のとおりであるが、被告人が代表取締役をしている辻和建設(株)は、東海興業(株)(資本金三三億六、七〇〇万円)・三井建設(株)(当時の資本金六〇億五、〇〇〇万円)・真柄建設(株)(当時の資本金一五億六、〇〇〇万円)・大鉄工業(株)など専ら一流会社の下請をしていたので、これら各社から受領する工事代金収入の一部を除外することは不可能であり、領収証を徴することのできないいわゆる簿外経費を捻出するためには、補脱事犯でひろく行われている収入金除外の方法がとれず、架空外注費の計上という手段をとらざるを得なかったのである。而して被告人は、原判示のようにその領収証を偽造したことはなく、氏名印鑑の使用についてはつねに本人の了解をとっていたが、本件調査の際菅脩が本人に無断で氏名印鑑を使用していたことがわかったのである。

毎日不特定多数の客から現金売上を得ているパチンコ遊戯場や飲食店等の補脱事犯では、収入金除外が通常の手口となっているが、本件では取引相手が一流会社であったためその方法がとれなかったわけである。(原審における被告人本人質問の際、弁護人はこれらの事情を明らかにするため発注先がそれぞれ一流会社であることを尋問したところ、原審裁判官が情状に関連性がないとして尋問を制限されたうえ判決においてその手口は極めて悪質であるとされるのは、本件と他の補脱事犯とをあらゆる角度から比較したうえでの考察を欠くものである。)

(二) また、被告人が右の架空外注費として支出した金の一部を架空名義の定期予金口座等を設定してこれに預け入れていたことは、原判決のいうごとく被告会社内部からの発覚を防止しようということが目的ではなく、簿外経費の捻出及び不況時に備えることならびに会社倉庫購入のための資金作りが主たる目的であって、預金設定手続については専ら銀行員まかせにしていたため、時には被告人の個人所得で厳格に所得税確定申告をしている収入についてまで、架空名義預金口座に預け入れていることによっても明らかである。

(三) 被告人は、昭和二一年春大工の弟子入りによって初めて建設業界の人となり、以後その道の修行を積んで昭和三七年(株)辻組を設立したもので、経理知識もなく、仕事の性質上、特に前記東海興業(株)以下いわゆる一流会社から他の同列企業の仲間よりもぬきん出た信用を得るためには、被告人自ら各工事現場を陣頭指揮して廻らねばならないところから、おのずから経理、税務等に関する面はおろそかになり、そのため会社とはいうものの事務機構は全然整っていなかったのである。従って経理関係は専問的知識を有する菅脩にまかせ、同人の報告を信用しこれに基いて資金繰の可能な範囲内で申告税額を指示し、これによって同人が申告書を作成するという極めて大雑把な申告手続を続けてきたものであるが、訴因第三の確定申告(昭和五五年二月二六日)に際しては、当時受注工事量が著しく伸びていることと、手許の資金が豊富になったことの認識から前記菅脩に対して申告税額を二、〇〇〇万円として申告手続をとるよう指示したところ、同人が申告税額三九一万五、〇〇〇円の申告書を作って来てこれでよいというので、多少疑問を抱きながらもそれ以上専門家の同人に反問もせず内容を詳しく検討することもなく申告書に捺印したものである。

かようなわけで同期の期末棚卸資材であるコンクリートパネル三三、八二五、〇〇〇円が計上もれとなっているようなことは全く気づかず、被告人が道交法違反(無免許運転)で加古川刑務所に服役中、国税査察官より二度目の質問を受けた際、その処理内容を教えられて初めて知ったのである。

本件では前記のように杜撰粗雑な経理が行われており、要は被告人に対し寛大な処分を受けることが最も肝要であると考えて、原審では右棚卸計上もれの点につき被告人の犯意がなかったことを事実上の争点として主張しないで、情状として主張した次第であるが、原判決では量刑の有利な事情として取り上げていない。

原判決は、本件補脱率は平均約八八パーセントというがもし前記コンクリートパネルの棚卸除外につき犯意がなければ七〇パーセント弱となるものであり、被告人としては保管現場担当者から実地棚卸の結果がそのまま本社の担当者に報告されている過去の経過に鑑み、三、三八二万五、〇〇〇円にも及ぶ棚卸品が除外されているというようなことは全く気づかないことであって、このことは原判決判示第一及び第二の事業年度において、いずれも期末在庫に計上もれはなく公表金額どおり認定されていることによっても明らかである。

2. 本件犯行後の情況について

(一) 辻和建設(株)では起訴対象三事業年度の所得税額一八六、三五〇、三三六円に対して国税地方税合計一四六、〇五三、九六九円(所得総額の約七八・三七パーセント相当)を完納したこと、被告人が本件につき反省の意を表していることは原判示のとおりである。

(二) しかしながらそれのみではなく、原判示第三の事業年度の翌期にあたる昭和五五年一二月三一日終了事業年度(同年六月一六日より一一月二〇日仮釈放になるまで加古川刑務所において服役)については、服役によって身をもって一層その非を反省し、小林税理士(元税務署副署長)の厳重な指導のもとで、共犯者として起訴されるのではないかと危惧しながらその責任を痛感し、十分反省している菅脩がこれに協力して完全なガラス張りの決算書を作成し、所得金額五八、七二〇、三七六円の申告をなしさらに昭和五六年一二月三一日終了事業年度には業界の不況に拘らず、所得金額四六、一五四、五二四円の申告をなし、そのため所轄豊能税務署の担当者は同種企業の中で辻和建設(株)の収入に対する利益率の高いことに驚いているような状況にある。

かように被告人は原判示の「反省の意を表わしている」という、いわゆる口先だけでなく、右のようにこれを具体的に実践しているものであるが、遺憾ながら原判決は単に「反省の意を表わしているなど」というに止まり、重要と考えられる具体的な実践の事実を量刑事情の判示から遺漏しているのである。

3. その他の情状について

(一) 被告人は昭和五七年五月二一日大阪府公安委員会より普通自動車の運転免許を取得した。(但し社長専属運転手を雇傭しているので被告人が現実に運転することは皆無である。)

被告人は、昭和五三年九月二七日、大阪地方裁判所で、道路交通法違反(無免許運転)により懲役四月、三年間執行猶予に処せられ、昭和五四年一二月二六日、大阪高等裁判所で、別件の同法違反(無免許運転)により懲役二月に処せられ、前刑の執行猶予の取消により、その後両刑の執行を受け終ってから五年を経過していないものであるが、これらの罪と原判決第一ないし第三の罪とはいずれも刑法四五条後段の併合罪の関係にあるばかりでなく、その処罰の対象となった無免許は現時点では解消しているので、罪質の異なる本件につき懲役刑を選択し刑法二五条一項二号の適用により実刑を科することについては慎重な判断を要するものと考える。

(二) 辻和建設(株)は一般建設業の事業年度に合わせるべく昭和五七年より四月末決算に変更したが、昭和五七年四月末決算及び昭和五七年一〇月末中間決算ではかなりの業績を上げており、いわゆるガラス張り経理によって決算を組み、納税優良法人を目指して正しい法人税の申告を続けている。

(三) 被告人は、昭和五七年一二月二一日、年末をひかえ本件に対する贖罪の気持から日本赤十字社大阪支部に対し事業資金として現金五〇〇万円を寄付した。

4. 本件の量刑について

(一) 一般に本件程度の態様の逋脱事犯の行為者に対しては懲役刑が選択され、その刑の執行が猶予されるのが通常のようであるが、本件において懲役刑を選択するときは罪質において全く異なる原判示無免許事犯の前科があるため実刑を科する以外にないことになる。

(二) しかしながら、原判決が見落している本件犯行の態様に関する前記事情及び本件犯行の情況に関する前掲事情と本件犯行は原判示無免許事犯の刑の執行終了後において犯されたものでないことは明らかであって本件が立件された当時被告人は前刑の服役によって自己の遵法精神欠如に痛く反省し今後二度と法を犯すことなく正しい納税に奉仕するよう固く心に誓って出所し営業に励んでいることが認められる情状を加えて綜合考察すると、交通事犯である原判示前科を全く異なる本件法人税法違反の量刑に強く反映させて実刑を科することは逋脱事犯の刑としては既に服役によって改心し贖罪のため社会福祉事業に多額(原審当時金五〇〇万円、当審金五〇〇万円)の寄付をしてその改悛の情を披している被告人にとって甚だ酷であり、むしろ角を矯めて牛を殺すにひとしいと考察されるから、この際重い罰金刑を選択して温情ある裁判により本件を良き教訓として被告人の自覚による納税意欲を益々高揚し優秀な事業家として活躍させることが徴税の目的はもとより刑政の目的にそうものと確信する次第である。

(三) 昭和五一年一〇月八日、東京地方裁判所刑事第二五部が言い渡した被告人岡野豊三郎、金鐘夏こと金鐘夏外一名に対する法人税法違反事件は本件と類似するものであるが、いわゆる累犯前科のある行為者たる被告人に対し前述と同じような理由を掲げ罰金刑を選択して処断している。

三、むすび

以上の理由により原判決を破棄し、罰金刑を選択の上御処断頂きたく本件控訴に及んだ次第である。

昭和五七年(う)第一五八八号

控訴趣意補充書

法人税法違反

被告人 辻一義

右被告事件の昭和五七年八月五日付控訴趣意書につき左記のとおり補充する。

昭和五八年六月一日

弁護人弁護士 笠松義資

同 大槻龍馬

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

一、査察事件と特調事件との差による不公平

一般に税法違反については単に国税査察官の調査によって発覚するものだけでなく、広く各税務署の収税官吏の調査によって発覚するものが大半を占め、その犯則規模においても後者が前者を凌ぐことが相当多数あると仄聞している。

そして税務署調査の事件ではそれぞれ更正決定がなされそれに応じた税額が徴収されるのであるが、査察事件は更正決定を受けるだけでなく刑事事件として告発・起訴されるわけであるから、調査着手の官署の相異によって結果的に大きな差が生ずるのである。

特に一般刑事事件では、犯罪の大部分が検挙され捜査事件送致義務の原則によって一応すべての事件が公平な検察官の手に移されたうえ、起訴・不起訴の判断がなされるわけであるから、前記のような査察事件の処理については不公平の感を禁じ得ないのである。

少なくとも我国の現行租税制度下においては、査察事件のみを悪質なものとして特別に厳罰を以て臨むことは妥当性を欠き、国民をして納得せしめるものではないと信ずるものであり、財政緊迫の状況下だからといって査察事件のみに神経質になるのは禁物である。

因みに小島建彦判事は、その著「直税違反事件の研究」において「告発要否の基準が全く開示されていない現行の実務では果していかなる基準で告発―訴追が行われるかにつき公平公正さに疑いを残すと思う。告発猶予は、収税官吏に直税事件の告発便宜主義を認め検察官の脱税訴追に関する起訴便宜主義を事実上制限していることに注意しなければならない」とされている。

かつて近畿弁護士連合会主催の夏期特別研修の際、税制経営研究所長谷山治雄先生も、「最近の税制と税務行政の特徴について」の講演を聴く機会を得た。その中で「逋脱をめぐる行政処分と刑事訴追との境界」なる項において奇しくもこの点に触れられ、重加算税における「仮装隠蔽」と逋脱犯における「詐偽又は不正の方法」との間に差異がないのに刑事訴追を受けた事件よりも大規模悪質と思われる事犯が特調事件として行政処分で済まされている例が極めて多いことを指摘し、この両者の境界は奈辺にあるのか多大の疑問が持たれると述べられた。

二、査察事件の端緒と備蓄

多くの査察事件は簿外資産、特に銀行預金等の存在が端緒となるのである。

経済原論で説かれる景気変動論にある如く、如何なる事業も絶えず隆昌の道を歩んでいるわけではなく、不況によって倒産し又は倒産一歩手前に至るようなことはすべての事業家が経験するところである。

そのような時、多数の従業員及びその家族を路頭に迷わせるようなことは事業家として恥づべきことであるから、熱心な事業家は常に不況への備えをしたり或いは事業の拡大、生産設備の改善等に意を用いるわけで、偶々その方法として脱税による資産の備蓄を考える者もあるのである。

そしてこの備蓄が査察の端緒となるわけであるが、同じ脱税をしながらこれを濫費して何ら備蓄のない悪質なものは査察官としても気付かずにすんでしまうという結果になるのである。

刑法犯における取込詐欺などの事件では全然弁償能力のないような悪質なものが主として検挙されるのに対比して、脱税犯においては脱税による資産を散逸して担税能力のないようなものは却って調査の線上にも現われてこないし、仮りにそれが発見されてもできるだけ多くの税収を挙げようとする収税官吏としてはかかる事件を調査して徒らに事務の能率を低下させるような愚はとらないところであり、ここに刑事事件の捜査と税法事件の調査が基本的態度において異なる点を看取するものである。

三、不況時における保障

源泉徴収が厳格に行われている俸給生活者と比べると、企業家の脱税は許し難いという意見は、一応首肯できるところである。

しかしながら、俸給生活者は来月の俸給が支給されなかったり、減額されるような憂はまず無いわけである。

これに反し、企業家は一軒の得意先が手形の不渡を出すことによってその煽りで倒産しなければならない場合もあろうし数年に亘って赤字が連続することもあるわけである。

然し赤字だからといって国家がこれを保障してくれるわけではない。企業経営者は自己資産を会社に注ぎ込んででこの危機を切抜けるわけであるが、自己資産がない企業家は折角の設備をもった会社を倒産させ、従業員及びその家族を路頭に迷わせるような例も多く見受けられるのである。

国家が税収を確保し得るよう企業を安定化させるための行政施策は極めて貧弱と申さねばならない。

特に中小企業対策において然りである。

かような行政施策が完全に実施された上で租税犯に対して厳罰を以て臨むことは妥当であろうが、現状において徒らに厳罰を以て臨むことは刑罰を以て行政の不十分さを補わんとするものであり、刑罰本来の目的から遊離するものと考える次第である。

四、査察事件と中小企業

査察事件では主として中小企業が対象とされ、大企業が重加算税を課せられた新聞記事は時々見受けられるが査察事件として告発起訴された実例もなければ青色申告を取消されたという実例もない。

新聞報道によれば「83億円も申告もれ、新日鉄過去4年の所得」「過少申告加算税、重加算税を含め三十億近い追徴課税を行っている」(昭和五二年六月三日付朝日新聞)「三菱商事が脱税60億円(重加算税含め)」「米の子会社で株売買利益110億隠す」(昭和五二年八月四日付読売新聞)「日商岩井60億円申告もれ」「はっきり隠し所得―脱税と認定された分も六十四億六千三百万円の中には含まれているといわれる」(昭和五四年二月一〇日付朝日新聞)「住商50億円の所得申告漏れ」「20億円超す追徴税払う」(昭和五四年二月二一日付朝日新聞)「日本郵船100億円申告漏れ」「チャーター料繰り上げ42億円を追徴」(昭和五七年三月三一日読売新聞)「三越九億五千万申告漏れ」「六千万円については意図的な仮装隠ぺいがあったとして重加算税を課され追徴税額は加算税を含め約四億円に上る」(昭和五七年一〇月一六日付日本経済新聞)「丸紅100億円申告漏れ」「重加算税1億8000万、44億円を追徴」(昭和五七年一一月三〇日朝日新聞)「伊藤忠22億円申告漏れ、54年から3年間8億円を追徴」(昭和五八年二月一二日日本経済新聞)「五洋建設22億円の申告漏れ」「海外工事で不明金」(昭和五八年五月一三日毎日新聞)などの記事が見受けられるが、これらが起訴されたり青色申告を取消されたという報道はない。

中小企業の経営者の多くは若い時から自己の事業と討死をする覚悟で血のむような努力を続けて来た人達であり、その中で円熟した人格と穏健中正な思想と倹素な経済観念を備えた人だけが事業に成功しているのである。

従って国家の経済及び思想の安定はこれら健全な中小企業の経営者とその従業員によって保たれていることを忘れてはならない。

そして、脱税事件の処理において大企業と中小企業とを差別することは税務行政や裁判に対して、これら国家組織の一翼を構成する中小企業者の真の心服を得るものでは決してないのである。

青色申告の取消に例をとるならば、かつて長年月にわたり青色申告の取消益は実務上「その他所得」として取扱われてきたし、そのことが税務行政全般の実態に適合するものであり常識に叶っているものとされてきた。

それが昭和四九年九月二〇日の最高裁判決によって犯則所得として取扱われることになってしまったのである。いわば実質的には中小企業だけに科刑を加重するための法の解釈が打建てられたのである。

青色申告の取消が大企業に対しても平等に行われているならば問題はない。

そうでない現状においては中小企業は課税面は勿論、刑罰面においても不平等を強いられているのである。

税法事件の量刑にあたっては単純な税法理論だけでなく、広く税務行政運営の実態を把握し、人間性を根基とする倫理的考察を忘却してはならないものと考える。

三、罰金の判決例

直税事件の行為者に対して罰金刑が言い渡された事例は稀有のことではなく、中小企業の育成と行為者の真摯な反省による納税意欲の向上と実行を期待し罰金刑を選択することによって行為者の奮起を求められる例はかなり多い。

弁護人が過去において弁護を担当した所得税法違反被告事件合計一八件(行為者二〇名)のうち行為者一一名に対し罰金刑の判決が言い渡され、法人税法違反被告事件合計三九件のうち行為者一四名に対し罰金刑の判決が言い渡されている。(その内容は別添所得税法違反事件一覧表及び法人税法違反事件一覧表のとおりで右一覧表は、大阪弁護士会友新会編「法律実務と租税法」中の拙稿「検察官・弁護士の体験からみた脱税査察事件」に添付した表4及び表5を引用したものである。)

而してこれら行為者の多くは、温情ある判決に感激し、事業の発展に精励し、多くの従業員とその家族の生活を守りながら納税の成果を挙げているのが現状である。

以上

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